free makerのブログ

徒然なるままに。あーでもないこーでもないと書き綴り。

mommy

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mommy」という映画を元町のミニシアターで見てきました。グザヴィエ・ドランという新進気鋭の若手映画監督の作品らしいんですが、私は全くそんな前情報なんてしらず。しかし、何か惹かれるものがありました。ポスターから伝わってきません??

大空をバックにそれを見上げる少年のポスター。なにか自由を渇望する少年の葛藤を描くのだろうと予感させる構図!まさに、会社の仕事にほとほと嫌気がさしている、いまの自分の気持ちにぴったり!

 

という訳で、ファミレスで昼食後にぼーとしていたところ、以前から気になっていたミニシアターに行く事にしたのだった。

 

この「mommy」、ADHD(注意欠陥・多動性障害(ちゅういけっかん・たどうせいしょうがい))の少年とその母親の関係を描いた作品なのだが、めちゃくちゃ面白かった。いや、面白いっていう表現はあんまり適切でなないだけども、何だか妙にいまの自分にしみいるものが合ったという感覚。

 

こういうのありません??ふらっと立ち寄った本屋で、何となく手に取ってみた何にも知らない作家の本が、何故か今の自分の境遇にぴったりっとはまってしまうような。いつもと違う道で帰ってみたら、とってもすてきな喫茶店を発見した時のような!あの、自分の中に入ってくる満足感。

 

細かいストーリーは実際に見てもらうとして、このドラン監督、いい仕事してますわ。

映画の構図は正方形の枠を使っての撮影。スクリーンをわざと全て使わないで、狭い正方形に押し込めた映像を使う事で、社会からはみ出てしまった人間の窮屈さを現している感じ。そして、もっとも印象的なシーンはスケボーにのったスティーブが画面をこじ開けるように両手を広げると同時に画面自体も広がっていく演出!

 

ああ、俺は自由だ!!

 

自由奔放なスティーブに翻弄される母親。でも彼女の愛はどんなことがあっても変わらない。母の愛つよし!!

という結末にはならない。

冒頭で暗示されたものが、この映画の中盤での親子の幸せな生活をより際立たせ、最後のカタルシスを最高潮に切ないものにしていますわー。

 

 

「自由」っていうものが私はすっごく好きなんですが、ほんとこの「自由」っていうものを考えさせられる作品。

ADHDであるスティーブは自分を自制できないために、すぐキレる。暴れる。自己中心的に行動する。その結果、周り(特に母親)に迷惑をかけまくる。彼はまさに自由。

しかし、その行動の原動力となる感情は非常にピュア。母親への愛。

 

スティーブは自由奔放に行動するけど、結局は最後施設へ入ってしまうことになってしまう。おそらく見ている人はみな、スティーブの自由奔放な姿にあこがれを抱くと同時に、嫌悪感も持っている事だろう。

 

自分の気持ちに正直になれ!なんてよく言う言葉だけど、自分の気持ちに正直になること=自由ってことでもないんだろうなと改めて思う。

自由を得るためには、巨大な”社会”の中で得られる、他者から与えられるものでしかないのかもしれない。みんな何かに縛られ、自由になりたいと思いながら、でもなれない。理性がそれを押しとどめている。

 

定職にもつけていない母親(もはみ出しもの)の姿からわかるのは、冒頭のカウンセラーの言葉「愛だけじゃどうにもならない」。

もし母親が金持ちだったら、違った結末になったかもしれない。

お金と自由は切っても切れない。